9月30日・峠から営業列車が途絶える瞬間

23日に撮影した後、私は悪友にその話をした。彼は自分も呼んで欲しかったとしきりに言っていた。そして・・・
私たちは決心した。懐を空にしようとも、疲労を増やそうとも、峠の最期を自分たちの眼で見届けようと・・・

高崎からの最期の普通列車を狙おうと、私たちは上越新幹線「とき」で高崎に先回りした。ここの写真にはないが、その「とき」は、東北新幹線「あおば」と共にこの日限りで姿を消してしまう列車たちである。そういった「最期」を追い続けながら、記念の写真を出していくこととしよう。

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最期の行先表示「軽井沢行」高崎駅発軽井沢行下り155M普通列車の表示もこれが最期である。あさま37号の1本前で、普通列車として最期の峠越えをする列車でもある。駅構内の表示からは既に「信越線」の表示がなくなっており、この表示が「風前の灯火」を感じさせるようにも思える。

安中の高校生と一緒に185系200番台で運転される155M普通列車。そのグリーン車(と言っても普通車扱いなのだが)で1人の高校生に出会った。彼女は安中から高崎に通学しているそうだ。
はずみで話が始まったのだが、峠の話題に入ったのは彼女から。「本当に残念ですよね」と。沿線住民であるだけに、寂しさがつのるようだ。最近受験勉強と遊びの世界でばかりクローズアップされる高校生たちだが、こんな素朴な思いを持っている高校生がいることを知って、私は少し救われたような気持ちだった。

最期の普通列車・連結のシーン(コマ送り) は連続読み込みですので、「戻る」ボタンを押さずにそのままにしておいて下さい。(飽きたら他の写真へどうぞ)

ここで悪友と二手に分かれました。私は最期の普通列車を感じとるためにそのまま軽井沢へ、悪友はここで「あさま37号」への乗換となりました。悪友に峠の釜めしを託し、私は先に峠に臨みました。

「最期」を務め続けたチーム155Mの車掌さん3人・・・最期の「新特急谷川」(この名前は新幹線に引き継がれるため、在来線としてはこの日が最期)から乗務してから峠越え最期の普通列車に続けて乗務のため、記念だとは言っていたが、峠のなくなることへの寂しさに変わりはないようだ

155M軽井沢に無事到着峠を登りきり、鉄ちゃんたちと旅人たちは一路ロクサンとの連結部へ・・・御覧の通りの人、人、人の山である。目の前にはテレビカメラも見える。この後この列車は、回9364Mとなって麓に引き返していった。

私は悪友の乗ってきたあさま37号で合流、先の普通列車と合わせて、次々と人々に出会っていきました。人々との写真はあとにまとめて掲載します。
この後しばらく列車の写真はありませんので、このあたりの話を知りたい人は悪友のサイトを見て下さい。そして「あさま37号」の車内には「蛍の光」「ふるさと」などが流れ続け、終点の長野へ・・・

長野駅を見守る人たち「あさま37号」が無事長野駅に入線した!それを見守る駅員さんと鉄道警察隊の方々・・・話を聞いてみればやはり寂しいと言う。一方で最期の列車の入線を見守ることができたことを非常に光栄に思っているそうだ。この人たちにも記念であることに変わりはない。

あさま37号と私旅人の協力をもらって、あさま37号と記念撮影をした。最期のヘッドマークは私にとっても記念である。ちなみに手に持っているのは悪友が買ってきた「峠の釜めし」である。

ASAMAのロゴ「グレードアップあさま」のロゴである。この車両は今後快速「信越リレー妙高」に使われていくことになっているが、このロゴはいつまで残るのだろうか・・・

最期の峠越え車掌あさま37号に乗務されていた上野車掌区の車掌さんたちである。旅人たちは一斉に記念撮影を敢行、自分たちは写真を撮る暇もなかった、とのこと。寂しさに変わりなしというのは、この人たちも同じである。
#後日私はこの写真を3枚持って上野車掌区を訪れました・・・ちゃんとお礼電話も来ましたよ!この日記念写真を撮られた皆さん、上野駅18番線にある上野車掌区に写真を持っていきましょう!

車販バイトの女の子長野駅善光寺口でたまたま遭遇した車販の女の子、普段は信州大学の学生だとか。写真のためにわざわざエプロンを引っ張り出してくれた。彼女に思いを尋ねてみたところ、あまり寂しさとかはないとのことであるが、これは長野側の住民だからだろうか?