長野駅に辿り着いた旅人たちには寂しさもそこそこに、次なる試練が待っていた。長野の人たちの期待もさるものながら、旅人たちには新在あさまを乗り継ぐという「黄金ルート」の後半戦に向けて、それまでの過ごし方を考えなければならない。前もって来ていた人たちは足早と宿へ、私たちのように突然現れた人たちやいち早く新幹線に乗りたいという人たちは、そのまま新駅舎となった長野駅の自由通路で一夜を明かすこととなった。
そのカウントダウンがここから始まる・・・
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自由通路は早くもこんな状態だった。私は悪友と、東京のねーちゃんと共に釜めしにようやくありついたのだった・・・(しかし、その前にコンビニからの帰り道が迷子になったりというエピソードもあるのだが・・・^_^;)
長野駅には、既に地元のメディア陣営が取材に巡回していた。悪友は諸問題をいろいろと物語っていた。私は・・・「この峠にこだわるものというのは何ですか?」「(私)その・・・強力(ごうりき)と言うか、機関車への頼り甲斐、そういったものでしょうか?」
長野駅の自由通路には既に「長野五輪と新幹線」の構図ができ上がっている。長野五輪への輸送にはいいのだが、その後はいかに・・・一抹の不安もよぎってくる。
長野駅善光寺口で見かけた旗、長野市制100周年と新幹線開業で、長野市はフィーバー状態のようである。これは長野市によるものだが、長野の人たちの真の思いはいったい・・・?こればかりは横軽線と時を同じくして終わってしまった、「筑紫哲也ニュース23」の「異論・反論OBJECTION」でもしてみないと分からないだろう。
朝になって、式が始まると・・・そこにはまたもや人、人、人の山・・・カメラはとても式典の前にはすがり着けないのである。
反対側のホームには吹奏楽団が待機している。ここにも報道陣のカメラが高々と構えられていた。ちなみに報道陣は、新幹線改札口前の受付で名刺を出してホームに入っていたようである。
峠越えの鉄道交代の記事を見ようという気持ちか、人々は新聞の前に殺到した。写真には悪友とねーちゃんも見える。ちなみに彼女は私と同様、東京に戻り次第出勤である。私も朝日新聞長野版・日本経済新聞長野版・信濃毎日新聞を入手した。
在来線ホームに目をやると、飯山線のキハ110が入線していた。半年前まで秋田リレー号に使っていたものを一般化改造したものである。10・1ダイヤ改正の余波はこのような所にも及んでいるのだ。
遂にあさま500号が東京に向って動き出した!見よ、ホームの人の山を!
どこの駅でもこのように朝早くから大歓迎であった。地元政治家たちが駅に集結していた他、佐久平駅では地元の和太鼓による歓迎も・・・
一晩で東京に戻ってきてしまったと思うと、あっけないものも感じる。反対側のホームでは「とき」に代わって登場した「たにがわ」が忙しそうに出発を待っていた。